仮題:カプチーノ


 

「あ、古川さん。今、古川さんが持ってる案件、佳奈さんに任せることになったから。引き継いでおいて」

「え?」

 

課長から不意にさらっと言われた決定事項に私は動揺する。

このプロジェクトの下準備のために奔走してきたのは私と原くんだ。

佳奈さんも関わってはいたけど、当然私がこの先もやっていくんだとばかり思ってた。

 

「えっと。佳奈さんにですか?私、引き続きやっていくつもりだったんですけど。なにか不手際でもありました?」

「いやいや、そういうことじゃなくてさ。この先の対応は佳奈さんの方が慣れてるし。古川さんにはまた別の案件新たに立ち上げてもらうから」

言うだけ言って、課長は去ってしまった。

 

とりのこされた私はしおれた心を持て余して、近くのカフェにカプチーノを買いに行くことにする。

こういうときはミルクたっぷりの甘いカプチーノで潤いを取り戻そう。

 

別に何か失敗したわけでもない。

ダメなところがあって、外されたわけでもない。

適材適所。

わかっているつもりなのに、言い聞かせてる感が半端ない。

なんでこんなに悲しい気分になるんだろう。

すごくやりたかった案件っていうわけでもないのに。

外された感が胸いっぱいに溢れてきてこぼれそうだったので、おおきくひとつ息を吐き出した。

 

 

それで少し落ち着いたような気がしたけれども。2歩3歩と歩みを進めるうちにまたむくむくと嫌な気持ちが湧いてくる。

なんだかいつも佳奈さんにおいしいところを持っていかれているような気がする。

私は佳奈さんに花を持たせるために地盤をならしているような気すらしてくる。

目の前からやってくる人とすれ違って、何気なく顔を見るとその人は下唇を噛み締めていた。

それを見て自分も同じ表情をしていたことに気づき、またひとつため息をつくとともに唇の緊張を緩める。

 

 

がんばってきたんだけどなぁ。

この先どんな展開をしていこうかいろいろ考えてたんだけどなぁ。

 

唇がゆがんでぶーたれた顔になっていた。

ダメだ。

今日は口元の百面相が止まらない。

 

 

 

 

ほどなくしてオフィスから一番近い行きつけのコーヒーショップにやってきた。

いつもは仕事の気合を入れるため、カフェインを入れてさっぱりさせる目的で飲むのだが、今日はミルクたっぷりの甘いやつがいい。

ふわふわのミルクの泡にハチミツをたっぷりかける。

これでもかと何に対してか自分でも分からない対抗心を燃やしてハチミツを入れてると隣から「うわ」と声が聞こえてきた。

「甘すぎないっすか?」

「…原くん」

社内の人に見られることを想定していなかったから急に恥ずかしくなった。

「いいの。今日はめちゃあまなドリンクが飲みたいの」

ハチミツのかかったミルクの泡を舐めるように飲む。

おいしい。

「そうだ。さっき課長から今、私たちがやってる案件、佳奈さんに渡すようにって言われたから」

「へえ、そうっすか。了解です」と、さして興味なさそうに原くんは買ったコーヒーを飲みながら言った。

私はミルクとはちみつたっぷりのカプチーノをごくりと飲み込む。

さすがに甘すぎた。ふわふわの泡の部分だけはちみつ味にできないものだろうか。

と、頭の片隅でそんなことを思いながら私は話を続ける。

「せっかくここまでやってきたから。この先もやりたかったよねぇ」

なにげない世間話のつもりで、適当な相槌が返ってくるかと思って言ってみた。

 

「こっから先はだれがやっても大差ない、連絡係みたいなもんでしょ?」

 

原くんから同意の相槌は返ってこなかったことに、反射的に私は言い返していた。

「いや!そんなことないよ。私いろいろ提案していこうと思ってたもん。佳奈さんだって、いままでの同様の案件、連絡係に徹してたわけじゃないでしょ?」

原くんは意外なものを見るような目つきで私を見た。

「じゃあ、そう言えばいいのに、課長に。古川さん言わないから」

そう言われて何にだか分からないけれど、驚いて今度は私が原くんをまじまじと見つめてしまった。

「…そっか。そうだよね」

私なんか必要ないって言われた気がして萎縮して何も言わなかったのは私の方だ。

 

 

「俺、ビジネスになりそうな、最初のきっかけ発掘するの好きなんで、それをしてて認めてもらえるからすげー、ありがたいと思ってますけど」

「え?」

「これ、おっきく育つんだろうなぁ、って種を見つけて植えるのが好きなんすよ。育てるのはあんまり得意じゃないからなぁ。あ、前に見つけた種を佳奈さんとかが育ててくれて、花が咲いてる案件に、俺が見つけた案件持ってて、新たな品種作る感じも好きっすねー。その種を拾い集めるのは好きです。それを植えてまた佳奈さんみたいな人に託すんですよ」

 

ー得意なことだけやって評価してもらえるんだから

 

そう言った原くんの言葉を反芻する。

 

 

得意なことかぁ。

別に新規開拓が得意なことでも好きなことでもないしなぁ。

考えてみれば私、好きなことも得意なこともとりたててない気がする。

 

また気が滅入りそうな思考に進みかけた自分にストップをかけるために、甘すぎるカプチーノを口にふくんだ。

 

得意なことなんてあったかなぁ、私。

 

ふわふわと消えていくはちみつ味のミルクの泡を口の中でもごもごさせながら、ぼんやりとそんなことを考えていると、あったかい大人の女の人の声が頭の中で広がった。

 

 

 

 

***

 

 

ーすごーい、じょうずにかけたね、みさき。

 

甘すぎるカプチーノが甘い思い出を掘り当てたのか。

私の頭の中のスクリーンに、耳の上で髪をふたつに結んでいた小さな自分が映っていた。

 

 

 

「ねーねー、見て見てー」

「わあ、すごく上手にかけたねぇ」

おかあさんのやわらかくてちょっと玉ねぎの匂いのする手のひらが、私のふたつ結びにした頭を優しく撫でてくれた。

おかあさんの視線は私が写生大会で描いた小学校の絵にそそがれていた。

私は、おかあさんがその手に持って見ている画用紙の裏の「3年1組 ふるかわみさき」と、とっても上手に描けた満足感に溢れる文字で書いた自分の名前をにこにこしながら見ていた。

 

 

スクリーンに映っていたうちの台所が、一瞬で学校の教室に変化した。

「市の代表でさなちゃんの絵が表彰されることになりましたー。みんな拍手」

担任の先生がみんなに向かって誇らしげに言っているところだった。

 

みんなが一斉に拍手した。

私も「わあ」って思って拍手しながら、照れながら立ち上がっているさなちゃんのほうを見た。

小さな私もすごく祝福して手を叩いている、はずだった。でも…

 

 

あれ?

なんだろう。

 

なんか心がヘン。

 

あの素敵な絵を描いてから、ずっと心があったかい色でくるまれていたのに。

 

しゅーって自分が小さくなっていくような気がする。

さなちゃんの絵が私より上手でだから選ばれたんだ。いいなぁ。

 

あんな絵ではしゃいでた自分が恥ずかしい。

 

あれ?恥ずかしいなぁ。

 

 

 

 

***

 

 

 

「それに古川さん、けっこう頼られてますよ?」

急にスクリーンが消えた。思考が原くんの声でかき消された。

「え?」

 

ちょうどドリンク片手にオフィスに戻ってきたところだった。

自席に戻ると先ほどの課長に呼ばれた。

 

 

「あ、古川さん、今度これ任せたいんだけど。よろしくね」

課長に呼ばれて新たな案件を渡された。

 

席に戻って、原くんに言うともなくつぶやいた。

「任せたいって言われた」

「え?いつも言われてるでしょ?」

「へ?」

変な声が出た。

私にとっては、いつも言われているなんていう認識はなかったからだ。

 

 

でもそう言われて、思い返してみればたしかにそうだった。

いつも必要とされなくなったほうばかり見て、「任せたい」って言われてる言葉を華麗にスルーしていた。

「またいつもと同じ案件」「この先はできないと思ってるんだ」「同じことしかさせてもらえない」そんなふうに思っていた。

 

そう原くんに言うと。

「なんすかそのスルー力」って笑われた。

 

私も照れ隠しで笑った。

胸の奥の方がさわさわと熱くなっていた。

 

 

 

そうだったのか。

私は必要とされてない。私より他の人がいいんだ。って

そんなふうに思っていたのは私の方だったんだ。