「はい。今日はハロウィンだからかぼちゃの煮付け田舎風」
妻が、見るからに味がよく染み込んでいると思われるかぼちゃの煮付けを食卓においた。
ほっくりしたそのかぼちゃの姿を見ているだけで、じわぁと自分の中にあたたかいうるおいが染み込んだ気がした。
1日炎天下にさらされてかさかさになっている真夏の庭にじょうろで水を遣った心持ちだった。たいしてなにがあったわけではないいつもの仕事だったのだが、気づかないところで少しずつ磨耗しているものだな、と、潤いを感じて初めて気づく。
しかし、妻の言葉に僕は思わず笑ってしまった。
「毎年思うけどさ。君、ハロウィンと冬至、勘違いしてるよね」
「だって、テレビでもスーパーでもかぼちゃが目につくんだもん」
言い訳なのか
うん。おいしい。味がよく染みていて、こっくり甘い。
食べてみると、見ているだけで潤ったと思ったのは表面だけだったなと気づく。
ねっとりと甘いかぼちゃを口に運んでいると、心の内側からじゅわっとうるおう感じがした。
心というものは胃のあたりにあるのかもしれない。
からっぽの胃にあったかいご飯を入れたから、胃があったまったんだよ。という冷静なツッコミも脳内に響かせながら。
「うん、おいしい」と妻に言う。
「ところで「田舎風」ってのはどの辺が?」
ハロウィンとともにもうひとつ気になっていたことを聞く。
「仕上がりで決めてるの。煮崩れしてほくほくな仕上がりになった時は田舎風。煮崩れしないで、つるんときれいな仕上がりになった時は「料亭風」」
ドヤ顔でそんなふうに言う妻に笑ってしまった(笑)
バカにされたと思ったのか、妻の言い訳が続いた。
「だっていつも同じように作ってるつもりなのに、かぼちゃによって仕上がりが違うんだもん。これは狙ってできないの。素材の違いなの」
どの料理もおいしいよ、ほんとに。と言うと、妻の顔にふわっと笑みが浮かんだ。
こんどは胸のあたりの乾燥地帯にあたたかい潤いが広がった。
やっぱり心は胸のあたりにあるんだな。
と、思い直してふたくちめの箸を口に運んだ。